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忘却防止装置です。

人が好きなことが好き

誰かが何かを好んでいて、それを誰かに語っている様が好きだ。この時期になるとスキーやスノボが好きだという人をよく見かける。普段は全然早起きをしない不健康おばけがことスキーやスノボとなると早起きをしてその興奮を匂わせるツイートをしながら雪山に向かうのだ。最高だな。

Apple MusicやSpotifyのおかげで好きな音楽を共有することがとても簡単になった社会はあまりにも生きるのに易い。ただTwitterを観ているだけでだれかの好きなものに触れることが出来る。自分が気に入ったものがあればURLを送りつけることで友達に感想を強要することも出来る。

基本的に何かを好きになれる人というのは魅力的だ。これは何も好きになれない人が魅力的じゃないことから証明できる。何も好きな事が無く、ただ日々の愚痴をツイッターにこぼす人もいるが、そういった人はめちゃくちゃリムーブしたい。むちゃくちゃに。でも微妙なしがらみにとらわれて出来ないから今日もミュート機能に感謝の念を抱いている。

レベルの高い学校に行くということ

以前から世の中のいわゆる進学校に対するイメージが、なんとなくずれているような気はしていたんですけど、下の記事を読んでそれが明確なものになりましたので記事にしたいと思いました。

blog.tinect.jp

 

進学校という言葉が持つ意味はたくさんありますよね。レベルの高い大学に進学する人が多い学校、単に大学進学率が高い学校、さらには入試難易度が高い学校という意味も含まれているような気がします。それらは正しいですし、そもそも単語の持つ意味を正しいか正しくないかという観点から判断するのもちゃんちゃらおかしい話です。そんな色んな意味を持つ進学校という言葉に対するイメージの中に「入ってからの勉強が大変そう」とか「常に周りと争っていて人間関係がギスギスしてそう」といったものがあると感じます。そこについては上の記事でも触れられているので省略しますが、それらのイメージに関連する僕の体験から感じたことを書きます。

 

僕は幼稚園→小学校→中学校→高校と地元の家から一番近い学校で過ごしました。結構な田舎に住んでいたこともあり、小学校と中学校はまともに勉強する人が多く僕もその流れにのって勉強はしていましたが、高校はその県でも最下位に近い公立高校でした。退学者が学年の5分の1ほど出るような高校です。勉強をそこそこしていた僕がなぜその高校に行ったのかと聞かれると、おそらく居心地が良かったんだと思います。周りはほとんど知っている人ばかりで勉強で争うこともなく「平和」に3年間を過ごせると無意識の内に考えたからです。確かに平和ではありましたが勉強をすることが普通ではない環境であったことは間違いなく、下手すると仲間はずれモノです。僕はあまり周りの空気を気にせずさも当たり前かのように勉強をしていたし、ほとんど昔から仲が良かった友達だったのでいじめられはしませんでしたが、場違いな気はしていました。そんな努力が実ったのか、大学は某国立大学に合格しました。そこで感じたのが「レベルの高い学校に行く」意味です。

 

大学に入るとそこには勉強をすることが当たり前だと思っている人「しか」いませんでした。本当に。そんな人達で埋め尽くされた大学という環境では、良識を持ち、他人の気持ちを思いやることが出来る人がいる確率が高いです。大学で知り合った人たちに聞いた話によると、進学校では先に挙げたような「入ってからの勉強が大変そう」とか「常に周りと争っていて人間関係がギスギスしてそう」というイメージは一切当てはまらないそうです。むしろ僕が大学入学後に感じたようなものがあったと言います。その事を知った時は大学に入学するまでの自分がどこかドブ臭かったかのような、ひどくいたたまれない気持ちになりました。

 

レベルの高い学校に行くということにはたくさんのメリットがあります。環境を言い訳にするのはみっともないし、どんな環境でも勉強はできると言いますが、環境が良いほうが良いのも事実です。進学校に対するマイナスイメージはほとんどが外部の人達によって築き上げられたもので、実際にそうである確率が低いと考えられます。そんなことを気にして地元の高校を選ぶよりは、少しでも興味があるなら努力するなりすべきかなと思います。僕がそうであったように、残念ながら殆どの子供はそのことに後から気づきます。親が学校を選択するのもいかがなものかとは思いますが、選択肢として提供することはすべきじゃないかと思います。

 

以上がすっきりした内容です。

やばい

危ない危ない、また五日坊主くらいになるところだった。

 

最近は来年の手帳探しに躍起になっていた。毎年皆さんもこ存じの通りほぼ日手帳を使っていて、ほぼ日手帳2017の動向が気になりつつある。今年も例に漏れずかっこかわいい素敵なカバーがたくさん出ているわけで、それをああじゃないこうじゃないと選定していくのがこの時期の楽しみ。

 

楽しみといえば最近バイトを変えた。社長が自己啓発本男かと思いきや本当に良い方でバイト自体が楽しみになりつつある。

ただそのバイトに関して一つ気になるのが、自分の知識の得方。どうしても体系的に勉強したほうが理解しやすいと考えてしまい中々一つのことに集中できない。今は主にRailsを使った開発をしているので、RailsRubyVagrantVM、あとは少々サーバの知識があれば完成するはずなんだけど、何かわからないワードを見かけるとそこから逸れ始め、収拾がつかない。

気をつけよう(おわり)

秋の夜長

夏休みが明け大学が始まって、もう1週間目が終わった。インドへの憧れからサンスクリット語を履修してみると、担当の教授がこれまた一癖二癖ある人で、楽しい後期になりそう。「君、ナイスサンスクリット!」

 

アパートの前にカラムーチョのスティックタイプがたくさん捨てられてるなあ、世も末かなんて思いながら近づくと、それは散った金木犀。ふと秋を感じた瞬間だった。

毎回この時期に体調を崩すのは前述の通りなんだけど、今年こそ何か対策をせねば、去年の二の舞いになってはいけないと考えてる。そこでふと自転車に乗りながら瞑想をしてみた。

 

今自分の中でストレス源になっているものは何か、それはどうすれば解決できるのか、何をしたら楽しいのか、と次々に思いを巡らせるとすーっと気持ちよくなってきた。

どうやらやはり自分の中で一番心配している、つまりストレス源になっているのは健康状態らしい。それに次いで金銭、残念銀メダル。

 

15分くらいですっきりした。大事、マインドフルネス。

読書

漢方に頼るようになってしまった。

 

夏から秋、秋から冬に変わる時に必ず体調を崩す人はたくさんいると思うんだけど、僕も漏れずにそれで。この時期になるとどこか心の拠り所を探している気がする。

今年はそれが漢方になりそう。

 

はてなブログを始めてから他人のブログ記事に目を通すことが増え、ああとても素敵な文章だなあと心揺らぐこともあるんだけど、特に最近は本を紹介する記事が目について、その中で見つけた「ぬるい生活(群ようこ著)」の記事に惹かれてポチった。

 

なんでも、その本によると現代人は水を貯めやすくなっていると、体を冷やしすぎていると書かれていて、だから僕の体はこの時期体調が悪くなるのかと納得してどうにかこの時期を乗り越えたいと思える内容だった。心の拠り所には正しいも正しくないもないのだ。

 

文学部に入って早1年半、すっかり読書と縁のない生活を送ってしまっている。

これをきっかけにまた官能小説でも読んでみよう。

Spotify

朝ごはんに餅を食べました。

 

Spotifyが日本に上陸したそうで、Twitterなんかでも続々と乗り換えてる人を見かけたので招待コードを待ちわびてたんですが、中々届かず。

今はまだApple Musicで遊びます。

 

昨日の夜に何となく言の葉の庭を観ました。

「御苑でビールを飲むお姉さんがいる」という前情報のせいで、とんだクソビッチ物語かとでも思っていたのですが、実際に観てみると綺麗な恋愛物語でした。

新海誠作品はこれで3作目、変な順番で観たんですが、やはり背景と感情の起伏が魅力的です。

 

後半にある、雨に降られて先生の家に行き料理を振る舞うシーン、あのオムライスが朝ごはんだったらもっと面白かったかもしれません。

ああお前結局高校生食ったんだなっていうのが観たかったです。

面接

全WEBディレクターがゲイに見える病気を患いました。

 

久しぶりの面接はやっぱり飲めないコーヒーを出して頂きまして、どうにか飲みきったものの、毎回「これ、このままでもよろしいでしょうか。」と尋ねるのが億劫。

応接室に返却口とか用意してくれないですかね。

 

今回面接を受けたのはWEB製作会社で、それはスキルアップのためでした。

でも面接となると自分がこれから何を勉強したいか、何になりたいかを連々と述べた方が良いかなあと勝手に思い込んで喋ってると、「働きながら勉強するのは良いけど、うちとしては戦力になるかならないかが大事だから。」って言われました。

まさにその通りだし、こんなに面食らったのはいきなりステーキで250gを頼んだのに「はい!300gお待ちしましたー!」って言われた時以来でした。

 

タリーズでアボカドホットドッグと一緒に水を頼んでごめんなさい。