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忘却防止装置です。

レベルの高い学校に行くということ

以前から世の中のいわゆる進学校に対するイメージが、なんとなくずれているような気はしていたんですけど、下の記事を読んでそれが明確なものになりましたので記事にしたいと思いました。

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進学校という言葉が持つ意味はたくさんありますよね。レベルの高い大学に進学する人が多い学校、単に大学進学率が高い学校、さらには入試難易度が高い学校という意味も含まれているような気がします。それらは正しいですし、そもそも単語の持つ意味を正しいか正しくないかという観点から判断するのもちゃんちゃらおかしい話です。そんな色んな意味を持つ進学校という言葉に対するイメージの中に「入ってからの勉強が大変そう」とか「常に周りと争っていて人間関係がギスギスしてそう」といったものがあると感じます。そこについては上の記事でも触れられているので省略しますが、それらのイメージに関連する僕の体験から感じたことを書きます。

 

僕は幼稚園→小学校→中学校→高校と地元の家から一番近い学校で過ごしました。結構な田舎に住んでいたこともあり、小学校と中学校はまともに勉強する人が多く僕もその流れにのって勉強はしていましたが、高校はその県でも最下位に近い公立高校でした。退学者が学年の5分の1ほど出るような高校です。勉強をそこそこしていた僕がなぜその高校に行ったのかと聞かれると、おそらく居心地が良かったんだと思います。周りはほとんど知っている人ばかりで勉強で争うこともなく「平和」に3年間を過ごせると無意識の内に考えたからです。確かに平和ではありましたが勉強をすることが普通ではない環境であったことは間違いなく、下手すると仲間はずれモノです。僕はあまり周りの空気を気にせずさも当たり前かのように勉強をしていたし、ほとんど昔から仲が良かった友達だったのでいじめられはしませんでしたが、場違いな気はしていました。そんな努力が実ったのか、大学は某国立大学に合格しました。そこで感じたのが「レベルの高い学校に行く」意味です。

 

大学に入るとそこには勉強をすることが当たり前だと思っている人「しか」いませんでした。本当に。そんな人達で埋め尽くされた大学という環境では、良識を持ち、他人の気持ちを思いやることが出来る人がいる確率が高いです。大学で知り合った人たちに聞いた話によると、進学校では先に挙げたような「入ってからの勉強が大変そう」とか「常に周りと争っていて人間関係がギスギスしてそう」というイメージは一切当てはまらないそうです。むしろ僕が大学入学後に感じたようなものがあったと言います。その事を知った時は大学に入学するまでの自分がどこかドブ臭かったかのような、ひどくいたたまれない気持ちになりました。

 

レベルの高い学校に行くということにはたくさんのメリットがあります。環境を言い訳にするのはみっともないし、どんな環境でも勉強はできると言いますが、環境が良いほうが良いのも事実です。進学校に対するマイナスイメージはほとんどが外部の人達によって築き上げられたもので、実際にそうである確率が低いと考えられます。そんなことを気にして地元の高校を選ぶよりは、少しでも興味があるなら努力するなりすべきかなと思います。僕がそうであったように、残念ながら殆どの子供はそのことに後から気づきます。親が学校を選択するのもいかがなものかとは思いますが、選択肢として提供することはすべきじゃないかと思います。

 

以上がすっきりした内容です。